めぐり逢う世界

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アコンカグア 撤退―南米旅行 Part6

2015年12月31日(金)

アコンカグア ニド・デ・コンドレスまで荷揚げ―南米旅行 Part5の続きです。

1月3日以降の予報はやはり最悪。1月2日までに登るしかない・・。



後3日間?つまりムーラスについてから4日目で登頂?普通なら高度障害が起きて無理だろう。

天気さえ持つのであればこの日は休息日として翌日から徐々に標高を上げ、最低でも5日間くらいはかけて登るべきである。

でも天気相手では仕方がない。僅かなチャンスにかけ、1人で重たい4人用テントを背負って上がっていく。

しかし、登り始めた瞬間から猛烈な寒気と発熱。辛い。辛すぎてカナダまでで諦めてしまう。この日はカナダにテント泊。しかし、ニドに荷揚げした食料を当てにしていたため、食料をあまり持っておらず、明らかなエネルギー不足に。ザックにアルゼンチンで買った巨大サラミが入っていたから食べるが、これが臭い、まずいで最悪。その後この感じが3日間は付きまとい、更なる気持ち悪さを招くことになる。

※これには反省すべき点が多く含まれています。残り2日になってもいいからムーラスに1日滞在した方が登頂の可能性は残ったでしょう。その後ちゃんと水を飲んで休息を取ったらすぐに回復したのですから・・。

コースタイム

10:28プラザ・デ・ムーラス-11:54標高4740m12:07-13:03標高4970m13:13-13:33プラザ・カナダ
歩行時間 2時間42分、行動時間 3時間5分


2016年1月1日(土)

苦しみながら2016年を迎えた。

朝から寒気、発熱が続く。頭が痛いわけではないが、発熱で更に呼吸がきつくなる。もう一旦下山したい気分だが、下山したらニドまで荷物取りに戻ってこれない気がしたので、気合でニドまで上がっていく。

テントを畳むのに苦労していたら外人が手を貸してくれた。本当に助かりました。

DSC06600_l.jpg

※この時点で登れる気はもはやしていない。荷物を取りに上がっただけに近い。

荷揚げのときはカナダから2時間半だったニドだが、この日は4時間もかかってしまう。

DSC06601_l.jpg

ニドまで上がると日本人3人のうち2人がテントを張っていた。もう一人はコレラまで上がったらしい。やはり翌日アタックするようだが、僕はとてもじゃないがそんなに気分が盛り上がる状況ではなかった。ここで辛くても水を作りまくらなかったのも、今後更なる不調を招いた理由となっているだろう。

コースタイム

11:18プラザ・カナダ-12:00標高5180m12:08-12:40標高5280m12:55-13:36標高5410m13:51-14:24標高5500m14:58-15:27ニド・デ・コンドレス
歩行時間 2時間57分、行動時間 4時間9分


2016年1月2日(日)

何をしていたか覚えていないが、ずっとテントの中にいた。昼は異常に暑い。何も食べる気がしない。

別日程でニドまで上がっていた中央大学の2人組にテントの外から色々と言われる。多分一度も出ていないから中にいないと思われたのだろう。

「何で一人で4人用テント張ってるんだよw」と外から笑われたが、俺もどうしてこうなったって思ってるよ\(^o^)/って心の中で突っ込んだ。やはり1人用テント×2の方がよかったかな。。


2016年1月3日(月)

予報通りの荒天。やはりチャンスは1月2日までだったのだ。

昼ごろ、このままでは死ぬと思い、下山を決意。でも身体が重く撤収に下山にも時間がかかりそうなので、翌日下山することにする。


2016年1月4日(火)

12時5分、ニド発。やはり4人用テントを撤収するだけで数十分はかかっていたように思う。近くに張ってあったYさんのテントは風でなぎ倒されていた。結局Yさんは1月2日には登頂できず、1月5日以降の登頂にかけて一旦ムーラスまで下山したらしい。そうしているうちにテントが風で倒されてしまったのだろう。因みに同じ日に入山した人で登頂できたのは恐らく一人。コレラまで上がっていた日本人Mさんだ。この方もコレラの時点でもう辛かったらしいが、頭を痛めながら気合で何とか登り切ったようだ。凄い。

登りのときと違ってカナダまでは雪が多くのところに積もっている。ただよくしまっていたので、アイゼンをきかせながらカナダまでは何とか下っていくことができた。ただ吹雪いていたので道がよく分からなくて少し苦労した。

この日もそれなりの人数が登ってきたが、後日天気を見た結果、向こう1週間以上は悪かったようなので登頂できた人は殆どいなかっただろう。

DSC06604_l.jpg

カナダから先はザレ。道の判断をミスって急坂に入ってしまい、尻をついて転んでからはしばらくザレの上で荷物が重すぎて上手く立てない状況が続く。

結局徐々に滑るように下って何とか突破。ただやはり荷物が重すぎて、しかもエネルギーも不足しすぎていてふらふらに近い状態。

そこを通りがかったアルゼンチン人の2人組に助けられる。1人には荷物を持って頂き、もう1人には肩を貸して頂いた。本当に涙が出ました。そうこうして16時35分、何とかプラザ・デ・ムーラスに下山。直後にメディカルチェックを受けるが、やはりSpO2は高い値が出る。大晦日・元旦の寒気自体は高度障害とはまた別の理由でしょうか?あそこから悪夢は始まったが、何とか無事にBCまで降りてこれてよかった。

この日はとにかく食べまくった。水も飲みまくった。高山では水はもっと意識的に飲まないとダメだなと勉強になった。ただ今回はそれ以前に身体が動かなくなってしまったのだが。夜はどういう経緯かパーティに参加。中々楽しかったです。

DSC06610_l.jpg

プラザ・デ・ムーラスにて燃える山。これを見て涙した。登頂はできなかったが、このときは何とか戻ってこれた安堵でいっぱいだった。

DSC06614_l.jpg

コースタイム

12:05ニド・デ・コンドレス-13:50プラザ・カナダ14:10-16:35プラザ・デ・ムーラス
歩行時間 4時間10分、行動時間 4時間30分


2016年1月5日(火)

登頂できたHさんの雇ったムーラに便乗させて頂き、共にオルコネスまで下山。長い道のりだったが、調子はもう悪くなかった。天気はまだ悪く、雨や雪も断続的に降りました。結局この後1月中旬以降まで天気は回復しなかったらしいです。

DSC06636_l.jpg

オルコネスからはインカ社の送迎でペニテンテスへ。

ペニテンテスではMさんと同じ宿に泊まりました。インカが間借りさせてもらっているホテルには足元を見られたのか、シャワーも何もない部屋なら案内できると言われたので却下。ちょっと離れたところにある1階がいい感じの雰囲気の宿に泊まりました。

DSC06642_l.jpg

シャワーのお湯はちょうぬるくて凍える。インカが間借りさせてもらっている高級そうなホテル(Hさんが同日ちょっと後に下山し宿泊)でもお湯は出なかったらしいです。ただ先に撤退した長井によるとお湯は出たらしいので、外の気温によるのだろう。

夜はMさんと乾杯。5月にエベレストを目指すと言っておられた。健闘を祈ります。

DSC06645_l.jpg

DSC06646_l.jpg

コースタイム

10:50プラザ・デ・ムーラ-16:02コンフルエンシア16:54-18:35オルコネス
歩行時間 6時間53分、行動時間 7時間45分


総括

今回は経験不足もありましたが、天候が安定せず登頂とはなりませんでした。しかしながら得られたことは多くありました。今回の経験を次に繋げられたらなと思います。

実際問題僕がどうしたら登れる可能性があったかを考察すると、「12月30日までの行程はそのままで、12月31日はムーラスで完全休息で水も食事もたっぷり取る。1月1日に12月30日の荷揚げ同様一気にニドまで上がり、空身でコレラ往復。1月2日にニドからアコンカグアにアタック。」しかなかったでしょう。経験不足などからの判断ミスにより、体調不良のまま12月31日に更に標高が高いところへ上がっていってしまったのが最大の反省点です。それ以降のミスは全てそのミスから生まれています。この判断ミス自体はニド泊1日でアコンカグア登頂を狙ったら失敗する可能性が高いというところから来ていますが、そうであってもアタックはかけられる。無理やり上がった今回の行程ではアタックをかける体力が残らなかったということです。

続きはメンドーサでステーキ―南米旅行 Part7にて。

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